“Apple 是中文吧?”
孩子突然问我。
啊~~,
你上次把《苹果汁》说成《apple汁》,
我以为你故意说错了。
看来你的外语能力有很大的问题....。
「appleって中国語でしょ?」
子供が急に私に聞いた。
あ~~、
この前「苹果汁(リンゴジュース)」を「apple汁」って言ってたけど
わざと間違えたのかと思ってたよ。
どうもあなたの外国語能力には大きな問題があるみたい…。
“Apple 是中文吧?”
孩子突然问我。
啊~~,
你上次把《苹果汁》说成《apple汁》,
我以为你故意说错了。
看来你的外语能力有很大的问题....。
「appleって中国語でしょ?」
子供が急に私に聞いた。
あ~~、
この前「苹果汁(リンゴジュース)」を「apple汁」って言ってたけど
わざと間違えたのかと思ってたよ。
どうもあなたの外国語能力には大きな問題があるみたい…。
我喜欢坐公交车。
因为坐它可以观望窗外的风景,也可以观察车上的人们。
在车上有些大嫂们知道我是日本人,就要跟我聊,
说实话有时会觉得烦,但一般这是消磨时间的好方法。
当然在车上的有些人会让我讨厌。
上次我跟朋友从始发站坐公交车,坐了两个人的位子。
我朋友坐在靠通道的位子,我坐在靠窗的。
经过几个车站,有一个中年男人站在我们旁边。
过一会我朋友告诉我:“这个男人怪怪的,把自己的脚总是贴在我的脚的。”
我那时才仔细看那个男人,
右手抓住吊环,左手抱着塑料袋,而塑料袋的下面····。
“你不要看他,他开自己的裤子拉链,从里面的东西露出来的”
“真的!?讨厌!”
我看了那个男人,叹了一口气。
我又碰到变态····。
其实我在中国碰到这样的人,已经是第二次了。
第一次是在大连的公交车上。
那时觉得好恶心的感觉又想起来了。
当时我回家后跟我的朋友们介绍一下自己的体验,
但我知道碰到这种事的并不是我一个人,
我周围的朋友们中有几个人也碰到过类似的情况。
有些外国人认为中国是社会主义国家,根本没有这样的人。
但我亲自感受到了,不是。
我想起1989年第一次来中国旅游的时候,
那时我穿了长裙,站在无锡市内的商店柜台前,发觉脚上有奇怪的感觉,
我看下面,发现有一个老大爷蹲在那里,摸一摸我的脚!
我吓呆了,连一声都说不出来,呆呆地看着他离开那。
可这次不一样了,
也许我已经长了经验,也许我的脸皮比当时厚一点,
我瞪了变态一眼,他慌忙地移开视线,
把裤子拉链出来的东西藏起来,就退离一步,
但还是仍站在我们旁边。
我和朋友就当他不存在似地又开始谈话。
但我又发现他又把它露出来。
我又瞪他一眼,他又藏起来。
这种事反复了几遍,我烦死了。
我决定不顾他。
但下次我看他的时候,发现他竟然在我们旁边打飞机!
天啊!
我狠狠地看他。
他才把它藏起来,把裤子拉链拉上,
离开我们,走到车门那。
我才放心了。
因为我们要下的车站马上要到,
我怕我们下站时走他旁边。
但到了车站他还不下,下一站就是我们要下的车站啊!
而且他一直扯着脖子看我。
因为他在车门那,我们要下的时候一定要走他旁!
最恐怕的是,
我们下车时,万一他也下车怎么办?
我们要下的车站快要到了。
没办法。
我们连忙地离开座位,混在人群中下车,
不顾后面跑了一段,才停下看我们刚才下的公交车。
好!他没下车!
但这次经验,有一段时间让我恶心。
我回家后,向我先生报告。
他竟然说:“你为什么没有拍照?这种机会可不多呢”
如果我真的拍下来,你又不敢看,
你可不要随便说话。
私はバスに乗るのが好きです。
バスに乗って外の景色を見たり、車内の人を観察したりできるからです。
バスでは、おばさんたちが私が日本人だと知ると、話しかけてきます。
正直言うとときどきうっとうしいけど、いい暇つぶしでもあります。
もちろん、バスの乗客の中には嫌な気持ちにさせられることもあります。
この前、友だちと始発のバス停からバスに乗り、2人がけの席に座りました。
友だちが通路側、私が窓側の席です。
バス停をいくつか過ぎ、中年の男の人が私達の横に立ちました。
「この男の人、変。自分の脚をずっと私の脚にくっつけてくるんだよ」と
しばらくして、友だちが私に言ってきました。
それで、初めてじっくりとそのおじさんを観察しました。
右手でつり革を持ち、左手でビニール袋の包みを抱え、その包みの下は…。
「その人、見ないほうがいいよ。ズボンのファスナー下げて中のもの出してるから」
「ウソ!?嫌だー!」
私はその変質者を見て、ため息をつきました。
まただよ…。
実は、私が中国で変質者に遭ったのはすでに二度目です。
一度目は大連のバスの中。
そのとき感じた気色悪さがまたよみがえってきました。
そのときは、家に戻り、友人にそのことを話しましたが、
こんな経験があるのが実は私1人ではなくて、
周りの友人にも何人か同じような経験があることを知りました。
中国は社会主義国家だから、こんな人は存在しないのではと思っている外国人もいます。
でも私は自らの経験から言い切れます、そんなことない。
思い起こせば1989年、初めての中国旅行のとき
ロングスカートを履いていた私が、無錫市内のお店のカウンター前に立っていると、
脚に妙な感触を感じました。
下を見ると、
おじいさんがそこにしゃがんで、私の脚をなでていたのです!
私はびっくりしてしまい、一言も言葉を発せず、ぽかんとおじいさんが去るのを見ていました。
でも、今回は違います。
私が経験を積んだのか、面の皮が当時より厚くなったのか
私は変質者をにらみました。変質者のオヤジは慌てて視線をそらし
ズボンのファスナーからのぞいていたものを隠して、一歩後ろへ下がりました。
でも相変わらず私たちの横に立っています。
私と友だちはそのオヤジがいないかのように又話を始めました。
でもオヤジがまたアレを出しているのに気付きました。
私はまたにらんで、オヤジは又隠しました。
こんなことを繰り返し、うざったくなり、
その変質者を無視することに。
でも次にオヤジのほうを見ると、なんと私たちの横で自慰行為!
オイオイ、やめてくれよ…!
私が思いっきりオヤジをにらみつけると
やっとアレをしまい、ズボンのファスナーを上げ
私たちから離れてドアのところへ行きました。
やっと一安心。
だって、私たちの降りるバス停はもうすぐ。
降りるとき変質者の横を通りたくないですから。
でもバス停に着いてもオヤジは降りません。次は私たちが降りる予定のバス停です。
それにオヤジは首を伸ばして、ずっと私のほうを見ています。
オヤジがドアのところにいるなら、私たちが降りるときにはその横を通らなくてはなりません。
私たちがバスを降りたとき、その変質者のオヤジも降りたりしたら最悪です。
私たちが降りるバス停に到着しました。
仕方ありません。
急いで席を離れ、人ごみにまぎれてバスを降りました。
後ろを振り返らずしばらく走って、さっき降りたバスを見ました。
よし!あのオヤジは降りてない!
でもこのおかげで、私はしばらく気分が悪かったです。
家に戻り、旦那に報告。
すると「なんで写真撮らなかったの?滅多にないチャンスなのに」
もし本当に写真に撮っても、絶対見ないくせに。
好き勝手言わないでほしいです。
我第一次去中国是1989年3月。
当时学了一年汉语的我以短期留学的美好名义下去中国旅游。
在一个月的旅途中,
开始的两个多星期在无锡过了上午上课下午去玩的生活,
在课上学的东西我忘得一干二净,但在那儿认识的人们却记得很深。
在招待所的房间里给我泡家乡茶的货车司机,
一边听从收音机传来的刚解禁的邓丽君《我只在乎你》,
一边用吸尘器打扫房间的跟我同岁的服务员,
穿了刚买的狗皮大衣给我看的女孩子,
在休息时间一起捉迷藏的招待所服务员们···。
其实去中国以前的我虽然已学了一年汉语,但对中国没有特别的感情。
我无意中想中国是一个和我没有什么关联的国家。
但在首次中国旅游中我却发现
在中国有和我一样爱唱流行歌、爱打扮、爱玩的女孩子们。
在无锡两个星期的所谓“短期留学”结束后,我们去了北京。
在前往大学宿舍的大巴上看到天安门和自行车的洪流时,
我才感受到我来中国。
在北京我有机会一个人上街,
我去了琉璃厂,那里是一个文化街,有很多古董店的地方。
在一个店里有一个老大爷用日语向我打招呼。
他穿中山服,我一直以为他是中国人,
但听了他的日语我就怀疑他会不会是日本人,
因为他的日语太标准,连一点中国口音都没有。
他说他是那家店的翻译,
年轻时住在日本北九州和日本人一起工作。
听他那么说我才发觉他的日语确实有点古老,
没有加插外来语。
但我到现在认识的所有中国人中他的日语水平是数一数二的。
当时的我根本不明白他去日本的背景,
也不知道他在日本时的中国和日本的关系。
如果现在的我又见了他,也许会说其它话题,
但当时我只高兴认识半个老乡,
和他聊聊我家乡的事情,在他那儿买了玉香炉。
我抱了装玉香炉的盒子,走来走去,
就到了天安门广场。
那时我已走累了,发现很多人坐在英雄纪念碑的台阶上,
我也学他们,一起坐在英雄纪念碑的台阶乘凉。
现在的英雄纪念碑用栅栏围上,
解放军站在栅栏旁不让我们靠近。
但1989年3月的时候,英雄纪念碑周围没有栅栏也没有解放军,
坐在台阶上看周围的人,有些人打扑克,有些人打盹,
时间好像过得特别漫长。
在北京呆了一个多星期后,4月初我们从上海虹桥机场回日本。
不到一个月我又在电视上看到我乘凉的英雄纪念碑。
那时因为前国家主席在失意中去世了,
在电视上播出有很多人向英雄纪念碑献花的样子。
再过了一个多月,
在北京天安门广场发生了引起全世界注目的一个事件。
对两个月前我在的地方发生的事情,我受到了很大的打击。
后来我有机会住在中国,
也了解了中国的许多方面。
说实话现在我的想法和当时不一样。
但那时候我在电视上看到的情景我可能永远都忘不了。
初めて中国に行ったのは1989年3月だった。
当時、一年間中国語を勉強した私は、
短期留学という聞こえの良い名義のもと、中国旅行へ行った。
一ヶ月の旅程で
始めの二週間ちょっとは無錫で午前中授業、午後は遊びをいう生活を過ごした。
授業で習った事柄はすっかり忘れてしまったが
そこで出会った人たちはよく覚えている。
招待所の部屋で故郷のお茶を振舞ってくれたトラックの運転手さん、
ラジオから流れる解禁したばかりのテレサ・テン「時の流れに身をまかせ」を聞きながら
掃除機をかける私と同い年の従業員、
買ったばかりの犬の毛皮のコートを着て私に見せてくれた女の子、
休憩時間に一緒にかくれんぼをした招待所の従業員たち…。
私は中国に行く前に一年間中国語を習っていたが
実は中国に特別な感情を持ってはいなかった。
無意識に中国は私とは関係のない国だと思っていた。
だけど初めての中国旅行で、中国にも私と同じように
流行りの歌を歌ったり、おしゃれや遊ぶのが好きな女の子たちがいることを知った。
無錫での二週間のいわゆる「短期留学」を終え、私達は北京へ行った。
大学の宿舎へ向かうバスの中から天安門と自転車の洪水を見たとき
初めて中国へ来たと感じた。
北京では1人で街へ出る機会があり
私は文化街であり、たくさんの骨董店がある琉璃廠へ行った。
ある店の中で1人のおじいさんが私に日本語で声をかけてきた。
人民服を着ていて、ずっと中国人だと思っていたのだが
おじいさんの日本語は完璧で、中国なまりが少しも無かったので
日本語を聞いて、もしかして日本人なのだろうかと疑問に思った。
彼はこの店の通訳で、若い頃日本の北九州で日本人と働いていたそうだ。
おじいさんがそう言うので私はやっとおじいさんの日本語が少し昔の日本語で
外来語が含まれていないことに気付いた。
だけど、彼の日本語は私が今まで知り合った中国人の中でも一二を争うレベルだった。
当時の私は彼が日本に行った背景など分かっていなかったし
彼が日本にいたときの、中国と日本との関係も知らなかった。
もし今の私が彼と再び会えば、他の話題も話したかもしれない。
でも当時の私は自分の出身地に住んだことがある人に会えたのがうれしくて
彼と出身地の話をして、彼のところで玉の香炉を買った。
私は香炉の入った箱を抱え、歩き回り、
天安門広場に出た。
そのときは歩き疲れていて、たくさんの人が英雄記念碑の階段に座っているのを見て
私も彼らを真似して、一緒に英雄記念碑の階段に座り、夕涼みをした。
今の英雄記念碑は柵で囲まれていて
人民解放軍が柵の傍で近づけないように立っているけれど
1989年3月の時点では、英雄記念碑には柵もなく人民解放軍もいなかった。
階段に座り、周りのトランプ遊びをする人、居眠りする人などを見る。
時間が特別ゆっくりと流れているような気がした。
北京で一週間ちょっと滞在して、4月始めに上海虹橋空港から日本に戻った。
一ヶ月も経たないうちに、夕涼みをした英雄記念碑のテレビで見ることになった。
そのときは前国家主席が失意のうちに亡くなり
多くの人が英雄記念碑に献花する様子をテレビで流していた。
更に一ヶ月と少し過ぎ
北京の天安門広場では世界の注目を集める事件が起こった。
二ヶ月前に私のいた場所で起こったことは、私にとっては衝撃だった。
その後、私は中国で暮らす機会があり
中国の色んな面も知った。
今の私の考えは当時とは違ってしまっている。
だけど、あのときテレビで見た情景は、多分永遠に忘れることができないだろう。
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